確率は収束するのかというお話
こんにちは、ヒダリウマです。
ブログを定期的に更新するというのは結構大変なことなのだということを痛感しております。空いた時間に少しずつ書いていますが、日々の生活や仕事の合間で毎日更新している人たちの努力を思い知りました。
面白い前置きも思いつかないのでさっさと本題に入るしかないですね。今回は「確率は収束するのか」という点について話をしたいと思います。
確率は基本的にどの遊びにも精通しているものなので、その仕組みに関して理解しておくのは今後何をするにも役に立つと思いますので、興味がある人はぜひ読んでみてください。
僕は超がつくほどの文系学生なので数学的な意味での理解が十全なわけではありませんが、日常生活や遊びの中で役に立つレベルでの解説を数字アレルギーの人たちにもわかるように説明できるよう頑張ります。
確率は収束するの?
よくネットでは確率は収束するだの、収束はしないだのという話が跋扈していることと思います。実際のところどうなんだろうか?と思っている人もいるのではないでしょうか。
正直、今検索で上位に出てくる記事は、私立文系として算数の頃から数字と戯れることを拒んできている人たちにとってはこれくらいのレベル感でも拒否反応が出てしまいますよね。
ということで今回は僕がなるべく具体的な例を用いて、なるべく数字を使わずに解説していくことができたらな、と思っていますのでよろしくお願いします。
結論から言うと、確率は収束します。試行回数を重ねることによって、確率は必ず分母通りの結果に近い結果を出すようになっています。
これは大数の法則というもので、ある行為において特定の出来事が起こる確率があるとき、試行回数を重ねてさえいけば必ず確率通りの結果へと帰結するという、数学における基本的な考え方なのです。
ただ、ここで誤解しがちな点がいくつかあるので、それについても意識しなければなりません。
- 確率が収束するというのは、決して偏りに対してそれを元の値に戻そうとする力が働くわけではない
- 確率が収束するには一定以上の試行回数が必要である。この試行回数は確率の分母が大きくなればなるほど膨大な数になっていくため、容易に確率を収束させることはできない
以上の二つを意識していない場合、確率への理解不足によって大きな痛手を負うことになりかねないので、注意が必要になります。
…つまり、どういうことだってばよ?という方もいるかもしれないので、一つずつ説明していきたいと思います。
まず1番目の注意点から。これがネット界隈で確率は収束しない、というように言われる原因になります。
勘違いしてしまう人の多くは、確率通りに引けてない時に
「そろそろ来る」と感じてしまう。あたかもより戻しの力が働くかのような捉え方をしてしまう。実際にうまいこと言ったときに「確率が収束した」と感じてしまう。
これは、違う。違うんですよ。
確率ってのは調子が良い時も悪い時も、いえ、自分が調子がいいと思っている時も悪いと思っている時も、確率はいつも同じ確率でそこにいるんです。
ありとあらゆる事象とは別で、過去の結果とは独立して、確率はそこに成立しているからこその確率なのです。ここが変わってしまったら、それはもう確率ではなくなってしまうのです。
では、なぜ、確率は収束するのでしょうか?どう考えても収束する何かしらの力が働かなければ収束するわけないではないか!とお考えになってしまいます。
一度経験則で培ってしまった認識はなかなか変えられないものですからね。
これが2番の注意点にもつながってきます。
確率というのをそもそも収束させるために必要な試行回数というのは、極めて膨大です。たかだか前日に大ハマりしている台がそろそろで来ちゃうほど簡単に収束していけるものではないのです。
多くの勘違いしてしまう人たちに見られる不可解な傾向があります。
それは、うまく引けていないときは、大抵なぜ確率通りに行かないのかと納得いかないような発言をします。しかしどうでしょう。
自分が確率よりもよほど早く引くことが出来たとき、彼らが口を揃えていう言葉は大抵「引きがよかった」とか「うまくいった」という言葉だけなのです。
何言うとんねんと。違うだろげと。僕はそう言いたいですけどね。
確率は試行回数を重ねていく中で早く引けたり遅く引けたりしながら、ゆっくりと分母へと収束していくのです。これは決して下ブレした後とか、上ブレした後とかは一切関係しないのです。
そう考えれば、この数値がいっていの確率に安定するようになるのにすさまじい回数の試行が必要なことくらいは容易に想像できることと思います。
極論を言ってしまえば確率の収束は、日常生活においてそれを利用して得を得ることなどほぼ不可能といってもいいくらいの、それくらい途方もな鋳物だということになります。
でも、間違いなく長いスパンで見れば収束はするので、収束しないという主張は間違いです。収束しないと言ってしまう人たちはこれらの勘違いに対する警鐘としてこのような言い方をしているのですが、
そもそも「収束」という言葉は数学用語としての「発散」の対極にある言葉で、この言葉そのものにそのような「より戻しの力」という意味はありません。
試行を重ねた結果として分母通りの確率へと平均値が集まってくるのであればそれは収束していると言えるのです。
確率を役立てるにはどうすればいいの?
さて、前回の話で「収束」という言葉の意味についてを中心に説明をしていきました。前提として世間の人たちが「確率が収束する」ということの考え方を間違えて捉えがちということ、
そして「確率は収束しない」という主張をしている人たちも言っていることは正しいけれど数学用語としての「収束」を正しく捉えていないが故に「収束しない」と主張をしてしまっていたんですね。
では、実際に確率の収束を利用するにはど宇すればいいのでしょうか。
それはもちろん、収束するほどの試行回数を稼ぐこと以外にないと思います。
試行回数が必要なのか、試行回数を重ねたとしてどれくらいのブレまで収束するのか、そこについて触れていこうと思います。
いつも通り結論から申し上げますと、
- 分母の100倍の試行回数をこなせば、95%の確率で誤差±20%以内の確率になる
- 分母の400倍の試行回数をこなせば、95%の確率で誤差±10%以内の確率になる
というのが通説になっています。
…文系の数字恐怖症の方、大丈夫ですか?
大して難しい話ではないので、簡単に説明しちゃいますね。
例えば、確率が1/2のコインの裏表を当てるゲームがあるとします。
え、現実的なゲームとは思えない?
あ~…それではこうしましょうか。
マイジャグラーの設定6をあなたは打っているとします。
ツッコミは不要です。そう、思ってください。
マイジャグラーの設定6のボーナス確率はビッグとレギュラー合わせて1/120.5となっています。このボーナス確率を確率通りに収束させるための試行回数について考えてみましょう。
まずは分母について考えます。今回はビッグとレギュラーに関しては考えないものとするので、分母の数は120.5ですね。
まず±20%以内のブレに収めようと考えた際に必要な試行回数は120.5の100倍なので12,050回となります。
ちなみに±20%のブレがどれくらいかと言うと1/144~1/96くらいになりますね。
ちなみに下限の1/144というのは設定3と設定4の間くらいの数値でしょうか。
1日このマイジャグラーを回したとしても10,000回転くらいが限界だと思うので、そもそもこの回転数を試行するのが不可能なのですが、
仮に1日打ち切ってこの回転数を回すことが出来たとしても、95%の確率ということなので20台に1台はこの確率の中に収まらない計算になるということです。
思ったより信用に足る値にはならないのだな、と感じてしまいますよね。
逆に設定が1のマイジャグラーでも1/207~1/138の範囲でブレるということなので、設定1の台でも20台あれば設定4くらいの数値でボーナスが引けるということになると思うと、設定を使う必要があるのかどうか怪しい気がしますね。笑
ちなみに±10%の範囲で安定させるには試行回数が分母の400倍必要ということなので、48,200回転、その回転数を試行することによってジャグラーの設定6は95%の確率で1/132.55~1/108.45という値に合算に落ち着くようになります。
いや、逆ですね。
50,000回転近くの試行を重ねなくては設定5~6の数値には確実には収束していかないということです。
具体的には5日間に渡って朝から全力で設定6のマイジャグラーをぶん回すといったところですかね。まぁ、容易ではないと思います。笑
以上のように、実際確率をその通りに収束させるには現実的ではないレベルの試行回数が必要であるということが分かりました。
確率を見る上で意識するべきことは何?
前回の項で確率の役立て方として試行回数をともかく重ねることが重要だという話をしました。結局少し数字を使わなければならない場面が出てきてしまったことは申し訳ないと思います。
最後に確率を見る上で意識しなればならないことを解説していきたいと思います。
これはよくパチスロなどの設定判別をしている人たちが間違った認識をしている人が多いと感じることから書いていますので、 そういう遊びが好きな方はよく意識して頂ければと思います。
- 期待値は期待値でしかない。よって期待値がプラスでも結局のところ収束までには相応の試行回数が必要となる。
- 分母が大きければ大きいほど試行回数は膨大になるため、分母が大きいものは乱数上判断基準として弱い
以上の2点を主に強く意識していただく必要があると思います。一つずつ見ていくとしましょう。
まずは1番から。期待値というものの考え方についてです。期待値は確率を基に算出された、その試行が確率通りに機能した場合に得られる期待利益、とでも思ってくれればいいでしょう。
上記の通り、期待値は確率を基に算出されているものなので期待値にもより戻しなどの力が働くことはありません。
つまり期待値通りの結果を出すためには確率と同様の試行回数が必要となっています。
期待値上ではプラスとなっている試行であったとしてもその通りに行かないことはありますし、それを正しく収束へと導くために試行回数を稼ぎ続けることが大切です。
根気強く頑張っていかなければいけないということですね。
次に2番について。分母が大きい試行であればあるほど収束させるのに回数が多くなるというのは上記の通りです。
ということは、例えばスロットの子役確立なども例に漏れず1日で収束させることが困難な分母を持っているということになります。
この手の確率というのは多くの設定判別の要素として重宝されているものではありますが、実際のところこれらをたかが1,000回転や2,000回転で判断の基準として重視するというのは、極めて危険な行為とみて間違いないでしょう。
特に、確率分母が65,536~16,384ほどの大きな設定差がある要素などは、一度引けたくらいで深追いするのはとても危険です。
たかだか分母120程度で試行回数5万回を要するのに、このサイズの分母になってしまったらそれはもういくらでも上下してしまうものになってしまいますからね。
使い方としては、複数回引けたときは1~2などの極端に低い設定を否定する、程度の判断にとどめておくのが良いですね。
このような確率の判別要素は必ずなるべく多くのサンプルを用いて、複合的な視点から判断する柔軟性が必要となっています。
判断基準にするべき順序としては
確定演出>分母小、設定差大の要素>分母大、設定差大の要素≧分母小、設定差小の要素
くらいの順序で判断基準におけるといいと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか。
まだまだうまく説明できている自信はありませんが、伝えたいことはある程度まとめることが出来ました。いずれは自分で表やグラフなどを作成して上手に分かりやすく伝えられるようになりたいですね。
また、そんなつもりはまったく無かったのに、結局具体例にスロットの話を出すハメになってしまいました。お恥ずかしい限りです。
現実には、世の中のありとあらゆる遊びに確率は関わっていますし、それに応じた期待値も算出することが可能なものになっていますので、確率を正しく理解することはギャンブルをするかしないかに関わらず大切なことです。ぜひとも覚えていただきたいと、そう思っています。
それではまた、次の話でお会いしましょう。
「パチンコの遠隔操作」都市伝説の真相をロジカルに読み解いていく
こんにちは、ヒダリウマです。
今回のタイトルは、巷で常に語られ続けている「パチンコ屋の台は遠隔操作されている」という都市伝説に対して、ガバガバロジックで切り込んでいこうと思います。
ギャンブルの専門ブログになってるじゃねぇか…!という意見もあるとは思いますが、これも神の思し召しか何かなのでしょう、許せサスケ…
さて、今回はテキパキと本題に入っていきますよ!
とりあえず結論から言えば
「99.9%ないと言っていいが、100%と言い切れるものではない」だよ、と、確か以前の記事でも言いましたね。
…え?以前の記事を読んでない…?
そんな馬鹿な…エイプリルフールの冗談でしょう…?
摩訶不思議アドベンチャーなこともあるものですね…仕方ないからURL貼っておきますが…今回だけですよ?
さて、早速の冗長失礼致しました。では今回この話をするにあたって、事前にいくつか前提条件の定義付けをしようかなと思います。
- 今回の考察において、感情的な判断は一切排して、合理的に是か非かという点で判断する
- ここでの合理的とは、会社経営をするものとしてリスクとリターンが見合うか、結果として長期的な収益に繋がるかという判断である
- ただし、あくまでこれは金銭的な損益の話に主軸を置き、法的措置などを取られた場合のリスクは判断基準には含まない
- 語りえぬものには沈黙する
以上の3つを前提として置きたいと思います。3つ目は「違法行為だからやるわけないじゃん」という否定理論を使わせないためです。だってやってもどうせバレないもんね。4つ目は悪魔の証明みたいなものですからね、不毛ですよね。
それでは始めていきましょう。
システム導入におけるコスト
第一に考えないといけないのは、間違いなくこれですよね。
パチンコやスロットの台は当然のことですがそれを作っているメーカーから卸したものを使っています。
また、パチンコ関連商品は監督省庁として保安通信協会という組織が認定を出さない限り、市場に出すことが出来ません。
それに加えて、ホールコンピュータ(通称ホルコン)と言われる、よく遠隔疑惑の黒幕として扱われる機械は基本的に別メーカーによって作られており、こちらも監督省庁の認定を必要としています。
ここまで話せば分かると思うんですが、パチンコ台もホールコンピュータも基本的に個別に認定を取らねばならず、保安通信協会そのものがグルでも無い限りこれらを用いて裏で台の大当りをコントロールすることは基本できないということになります。
ということは、遠隔操作システムを導入するには裏ルートによって作られた違法製造品を仕入れる必要がありますよね。
でも、国内にそんな違法な生産ラインを持つことは出来ないので、海外に拠点が必要ですし露見する訳にもいかないので大量生産をすることも難しいことを考えると、法を犯すリスクを上回るだけの価格を違法製造品メーカーは設定でしょう。
ネットではこれらの仕入れに数千万円かかると言われています。これらの情報を鵜呑みにする訳ではありませんが、当たらずも遠からずなのではないでしょうか。
導入の具体的な価格に関しては考察しても無意味なので置いておくにしても、導入するに際してそれなりのコストは覚悟しなくてはならない、ということが分かりました。
システム導入の目的
上の項で設置に必要なランニングコストについては考察しました。
次は、なぜ遠隔操作システムを導入する必要があるのか、です。
遠隔操作はある、という主張の方々の意見としては
- お客さんにバカヅキでぶっこ抜かれると経営が厳しいから
- 態度の悪い客を早く帰らせるため
- 収益安定化のためにその日の出玉をコントロールしてる
という意見が多かったです。特に3つ目が主流だったの
かな。
ですが、これらの主張は正直的外れもいいところだと思います。
1つ目の主張「バカヅキされると経営が厳しい」というものですが、最早これはバカ丸出しな主張と言ってもいいでしょう。
そもそも基本のマシンスペックとして胴元有利で収束するように作られているんです。
ボーダー回転数よりも回らないようにすれば胴元は利益を十分に生むことができます。
何より、近年ほぼすべての都道府県では等価での営業を禁止しています。これは、玉を借りる時とお金に戻す時でギャップが発生する(手数料がとられる)というもので、基本的に借りた時よりも10%ほど多い出玉を用意しなくてはならないのです。
たまたま一人二人の出玉での20万円程度に左右されてしまう経営状況では、従業員に給料も払えないですし、どうせ近いうちにつぶれるようなホールでしかないと思います。
2つ目の主張に関してですが、これも何というか、おめでたい話ですね。
いわゆるストップボタン(そのボタンを押したら特定の時間大当たりが出なくなるという代物)の存在に関して言っているのでしょうか。
態度が悪ければ一言店員が声をかければ終わる話ですからね。店側はホールルールというものを敷いており、これを守れない客のことを出玉没収の上で退店させることができます。その客の態度が悪いから(台を叩く等の行為を禁止しているホールがほとんどです)という理由で退店させることも容易にできますからね。
そして3つ目の主張に対してですが、これは表面上あってもおかしくない、筋の通った話だと思います。ホルコン攻略などを謳っている悪徳商材などもこれの裏をかいて一儲けしようぜ、という話ですよね。
ですが、この考えも蓋を開けてみれば、というか冷静に現在のホール状況を見てみると遠隔操作を行っているとは思えない状況なのが分かります。
ここからは逆説的に売り上げ調整を遠隔操作で行っていないという根拠について説明していきます。
あ、ちなみに遠隔操作を使って常連や負けすぎている客に還元しているという主張も極稀に見かけることがありますが、これを否定するのが実になかなか骨が折れるんですよね…笑
システム導入の効果
さて、前項の3つ目の主張である「店の売り上げのコントロールによる安定収入のため」という話について掘り下げていきます。要はそれで収益があげられるのであればそれに越したことはないのです。要は必要経費ですからね。今後の安定的な収益に繋がるのであれば願ったり叶ったりだと。
では実際どうなのか。
そうです。大当たりをコントロール出来るのであれば、それでうまく全てのお客さんから少しずつ利益を出すことが出来るのならおそらく、いや間違いなくその店は大人気店になってしまうのです。
なぜなら、遠隔操作システムを導入することができるのであれば回転数と期待収支が一致しなくなる、言い換えれば、大当たりを支配している以上いくらでも釘を開けることができるからです。
基本的に優良店と呼ばれる店はよく回るように釘を調整してくれるような店を指します。パチプロと呼ばれる人々もこの回転数を調べてボーダーラインと呼ばれる期待値がプラスになるラインの回転数の台を選んで座ります。
このボーダーラインはパチンコのカタログスペックを基に算出しているものなので、確率への干渉は一切ないことを前提としています。
つまり、経営者視点に立って考えれば、ボーダーラインを超えるような釘の調整を行うことによって、お客さんは自分の店でより多くの稼働をしてくれるようになるということです。
パチンコ店にとって一番の広告は出玉であるとともに、台の釘状況でもあるということです。
ここまで説明すれば予想はついてくると思います。
現実に、世間に台釘がボーダー超えで調整してくれている店が果たしてどれくらいになるのかという話なのです。
経営者視点に立てば容易に見えてくるものがこういう部分なんですよね。遠隔システムを導入してなお釘を閉めるようでは導入コストを回収できるほどの継続的な利益につなげることが難しいということになるのです。
以上のことから必要な情報は出揃いました。最後にまとめに入りますが、その前に蛇足になるかもしれませんが、最初に話した残り0.1%の可能性についてもお話をしたいと思います。
残り0.1%の話
実は過去に、違法ホールコンピュータを使って遠隔操作システムを利用したパチンコ店が検挙されたことが実際にあるんです。
2004年の「アイビー企画の違法改造」であったり「ボナンザの遠隔操作導入」出会ったりなど、2000年代前半にちらほらとニュースになっていたようです。
実際にホールコンピュータでの制御が技術的に不可能ではないということが示された一件です。
また、実際に僕の父がパチンコ屋のサクラのバイトをしたことがある、という経歴を持っていますので、昔はサクラなどが割と当然のようにあったのも事実なようです。
父の時は、台にハーネスのようなものを挿して決められたある行動を取ると大当たりフラグが立つといったものになっており、それによってある程度見せ玉を作ることをバイトとしてやってたと聞きました。
これらのことから、技術的に不可能ではないですし、実際に行われたこともあることは間違いないようです。
過去のニュースによるとこのシステムは常連客やサクラに出玉を見せるために使っていたらしく、お客さんからお金を抜くために使っていたのかどうかは不明ですが。
また、上では店頭で設置されている台そのものが違法なものであることは基本的に無い、という旨の話をしましたが、実は例外もあるという噂を耳にしたことがあります。
これはもちろん噂なので、話半分に読んでくれて構いませんが、どうやら台を店舗に運び入れる業者の人間に限って言えば、台に不正な機器やシステムを取り付けることが稀にあるらしいです。
確かに、運送中の機械の状況は完全にブラックボックスで、そこでどのようにか手を加えられてたとしても、察知することは難しいでしょうし、この噂を否定するリソースが我々には無いので有り得なくはないですね。
そしてこの不正台の情報を高値で売ることで流通業者が利益を上げるという仕組みになっているらしいです。要はホールからお金を巻き上げるシステムということになるんですかね。
本当かどうかは分かりませんが、今回否定できる情報がないものに関して主観を述べることはしないという前提の通り、可能性はあるという立場にとどめておきたいと思います。
いずれにしても、多くの人が都市伝説として語るような「遠隔操作によってぼったくられている」という情報にはつながらないものが多かったですが。
結論
さて、それでは結論に移りたいと思います。
あ、いや結論は一番最初に話していたので、今回はまとめと言ったほうが正しいですかね。
今回の考察のまとめとしましては
- 技術的には不可能ではないし、実際に導入された過去の事件も存在する。
- ただ、実際に導入していた店舗でも店内の台すべてに導入していたわけではない。これはそもそも大量生産や国内生産が難しいものであるために導入コストが非常に高くつくのにも関わらず、集客機能がまるでなく、店舗の長期売上向上に見込めるものではないからである。
- もし遠隔システムを導入することで当たりをコントロールすることができるのであれば、店側は十分に釘を開けて顧客にとってお金を使いやすい環境を用意した上での利用が集客の点からも好ましいはずなのに、近年のホールは回りやすい台を用意するでもなく、何ならプロお断りという名目で顧客の技術介入を妨げ、出入り禁止などの処置をとるほどである。
以上の観点から、パチンコ店での遠隔操作はほぼすべての店舗で実働されている可能性が極めて低いという考察になりました。
もう少し定量的なエビデンスを示すことが出来れば良かったのですが、今回の件はどうにも外に情報が回りにくいものであり、いまだに存在を信じ切っている人たちが多いので、なかなか僕の情報収集能力では難しかったです。
今後もより良い理論やデータを見つけた、または気づいた場合は追記していきたいと思っています。パチンカスだから完全に否定派に寄ってるだけだろ、なんて誰にも言わせないくらいロジカルにまとめてやりますよ!
それではまた次の記事でお会いしましょう、さようなら!
パチンコ、スロットは教科書だった②
お久しぶりです。
旅行に行ったりパソコンが壊れたりでしばらく更新をしていませんでした。ヒダリウマです。
3回目の更新になるので、いい加減僕がブログを書こうと思ったきっかけだのなんだのはもういいかとも思ったんですが、
隙あらば自分語りせよというブログのパイセンからアドバイスをもらったので、いま一度僕の初記事のリンクを貼ります。
さて、だいぶ日付が空いたので何の話をすればいいか忘れかけてるんですけど、前回の記事「パチンコ、スロットは教科書だった①」の続きを書くべきですよね。そうですよね。
読んでない人は読んでください。別に面白いものではないですけど僕、PV欲しいです。
素直なことはいいことですよね。
では、本題に入っていきましょう。
パチンコ、スロットは確率で出来ている
思えば前回の記事は全く本題に触れることなく終わっていたのですね。反省です。
ようやく今回は、学びについて触れていくことができます、お待たせしまして申し訳ありません。え?待ってない?そんなー。
ではでは話を始めたいんですけど、皆さんパチンコだったりスロットをどんなものだと思ってますか?
光と音で射幸心を煽る、なぜか国に認められているギャンブル、くらいにしか思ってない人もいると思います。
が、蓋を開けてみると本質的な部分は全然違うんですよ、実は。
いや、確かに光と音で射幸心を煽ってますし、ギャンブルではなく遊戯だ、という主張が詭弁であることも理解しています。
えぇそうですよ!理解してますよ!あれはギャンブルだと思いますよ!だから何ですか!!
閑話ky
でも、これは間違えてはいけないことなのですが、
パチンコもスロットも、確率という神が作りし世界最高の自然現象によって支配されてるという意味では、極めてフェアなゲームなのです。
急に宗教的になってしまったぞ、どうしたどうした、と思うかもしれませんが今日は隙あらば自分語りする日なので、文句は言わせませんよ。
確率というものは、世界のあらゆる現象を支配していると同時に、確率を支配した人間が勝利すると言っても過言ではないくらい、世界の根幹を担っていると僕は考えています。
パチンコ、スロットは、この「確率を支配する」というテクニックやセンスを極めてショートスパンで体感し、PDCAを回すことが出来るツールでもあるのです。
何を言ってるんだコイツは…と思った方もいるでしょう。事実、僕も半分自分で何を言ってるんだ状態です。
でも、おそらくこれは紛れもない事実だと思います。データや数値というものは、必ずその裏に隠れた真実を浮き彫りにしてくれるものですから。
そしてこのパチンコ、スロットという遊戯は、何よりもデータ、数値に忠実に動きます。故に、試行回数を重ねることで確実に確率通りに収束していくよう出来ているのです。
故に私たちは、正しくデータを取得し、正しく統計的に照らし合わせていくことによってパチンコやスロット…まぁ主にスロットですが、「期待値」をプラスにすることが出来るのです。
皆さんがスロットを打ってる人達をどのような目で見ているのかは分かりませんが、一部の人たちは数値やデータと向き合いながら、期待値をプラスにするべく立ち回っているのです。
…ただ、この「期待値」というのがミソで、期待値がプラスだからといって必ずしも必ずその時に勝てるという訳では無いというのが難しいところであり、面白いところなんですよね。
この面白さをひとコマで上手く表現してくれてるのが、僕が昔から好きだったブラック・ラグーンの9巻でロックが語るこの台詞。
運以外のあらゆる要素を塗りつぶす行為こそデータや数値の取得であり、お店の癖、傾向を知ることであり、試行回数をふやすことなのです。
そして最後に残った確率の上ブレや下ブレこそが、本当のギャンブルの楽しさに繋がってくるんですよね…
あ〜…今回は教科書だったというテーマなのに、ただただ語ってしまった。猛省です。
よくネット界隈では「遠隔操作されてる」などという話もありますが、99.9%嘘っぱちだと思ってくれていいと思います。
100%とは言えませんがね。
これについても興味がある人がいるならいずれは記事にしようかな…
経済人になるためには
「経済人」という言葉を知っていますか?
これは古典派経済学の頃から長らく我々経済主体の前提として定義されてきた考え方で、一言でいえば「完全合理性の中で意思決定をする人間」のことです。
今「あ、俺の事だな」と思った人もいるかもしれませんが、安心してください。それは多分、いや間違いなく誤解です。
上でも話しましたが、ギャンブルというのは、いやギャンブルに限らずあらゆる事象には「運」の要素は絡んできます。
長期的な期待値はプラスでも、正しく確率通りにやることやれなければ、どんどん負けていくこともあるでしょう。
上で言いましたよね。ショートスパンで結果が出る、と。
果たしてあなたは、ものの2~3時間で何万ものお金が泡と散る(ように見える)中で、果たして常に期待値やデータと正しく向き合っていられるでしょうか?
突然ラッキーで出玉を持って、今日の自分は誰よりもツイてる!と感じてる時にデータに従ってやめたり、さらに投資したり出来ますか?
打ちたい台を我慢して、期待値のある台を何時間も回すことが、それを選ぶことが、出来ますか?
これ、口で言うのは簡単なんです。
でもね、目の前で自分のお金が目まぐるしく動いてる時に、なかなか人って合理的な判断をするのは難しいんですよね。
だからこそ勝ち切れない。プロのように戦い続けることが出来ないんです。
合理的な判断を見誤れば、結果として期待値がマイナスに収束し、いずれは必ず破綻します。
以前言いましたが、ギャンブルは胴元に有利なように作られているということをいま一度思い出してください。
でも、おそらくこれはギャンブルに限らず、アナリストや投資家、経営者は誰しもが持っている視点だと思うんです。
大局観やデータ指向での意思決定というのは、未来に目を向けている人々にとっては必須スキルであると言ってもいいでしょう。
少なくともアナリストや投資家は刹那的、短期的な視野しか持たない人が名乗っていい肩書きでは無いですし、
経営者が「今ツイてる!まだ行ける!」なんて言ってる日には、即退職願を書くレベルでしょう。
まぁ経営者や投資家が完全合理的な経済人だったらそれはそれでヤバいんですけど、それはそれとして、ね(笑)
なんにせよ、この論理思考は実際にやってみないと出来るようにならないし、危機感を持って全力で人が動く時は、やはりお金が関わってる時なんだって話になるんですよね。
パチンコ、スロットから学んだこと
さて、それではまとめに入っていきます。準備はよろしいですか?
あ、大した話はもうしないのでよろしくなくてもいいです。最後まで読んで。
今回の①と②のまとめをすると、
- 経営者視点に立って物事を考える癖がついた
- 確率の仕組みや接し方、データや数値の見方が身に付いた
- 大局観、合理思考による意思決定を数多くこなした
の3つが大きくわけて学んだことになるかと思います。
何がすごいって、このものの見方や考え方って、実生活で身につける機会が滅多にないんですよね。それこそ自分からそういった経験ができる環境に飛び込むしかない。
そして、自身の思考や取り組みの正しさがお金という目に見える数値として戻ってくるんですよね。
間違えてる時は露骨にお金が無くなりますが…まぁそのおかげ(?)で危機感持って改善しないとと思うわけです。文字通り命懸けですしね。
これってとっても素敵な部分だと思います。
…思いません?
そして何より、
そして何より、
楽しい。
うん、やっぱりこれだよね。
スロット最高。
あ、大事なことなのでもう1回言いますね。
スロット、最高。
それではまたお会いしましょう。
パチンコ、スロットは教科書だった①
どうも、2回目の更新となります。
ヒダリウマです。
ブログの解説と同時にTwitterのアカウントも作りました。
右も左も分からない僕は、どうしても同じく最近ブログを始めた初心者ブロガーさんと共感の接点を作って交流を図りたかった。
なので今日は、エゴサしては記事を読んでフォローをするという行為を繰り返していました。
その後、自動bot扱いされてしまったのは言うまでもありません。
そんなことはさておき、前回は初めての投稿で何故僕がブログなるものを始めむとしたかについて語らせていただきました。
まだ見てない、興味がある人はコチラからご覧になってくだされば、僕が悦に入りながら小躍りすること間違いなしです。
さて、華麗に自らの処女記事をダイマしたところで今回のお話に入っていきたいと思います。
結論ファーストで話すならば「パチンコ、スロットはいいぞ」というだけのお話です。
僕はこれを自らの正当化のためにひたすら美化しながら、ただし一切の嘘偽りを使うことなくこれを雄弁に語っていこうと思います。
ちょ、ごめんて、帰らないで。
ぜひ、みなさんも「ギャンブル依存症の馬鹿が囀ってやがるwww喧しいぞwww」という気持ちを一度押し殺して、心をフラットにして、いえむしろヒダリウマ全肯定botになった気持ちで読んでいただきたいと思っています。
それではどうぞ心ゆくまでパチンコ、パチスロ正当化の茶番をお楽しみください。
パチンコ、スロットはマイナスサムで作られている
初手からパチンコdisになってしまった…
まぁでも事実なので、隠すことでもないでしょう。
ギャンブルなんてものは胴元(パチンコ屋)がいる以上、必ず全体の収支はマイナスに収束するようにできています。そうしないとただのボランティアになってしまいますからね。
でも、「全体の収支がマイナスに収束する」ということは必ずしも「ギャンブルは必ず負けるように出来ている」という訳では無い、ということも理解しなくてはなりません。
そして、これが「パチプロ」や「スロプロ」というものが世の中に存在する所以ともなるのです。
一体これはどういう事なのか。
ぜひ皆さんにはパチンコ屋さんの気持ちになって考えていただければ分かりやすいと思います。
パチンコ屋さんの経営者になることを想定してみる
あなたはとあるパチンコ屋の店長です。
え?嫌だ?そんなこと言わないでもう少し付き合ってくださいな。
もしあなたが、お客さんをかもがネギ背負った上に土鍋とカセットコンロまで持ってやってきたかのような目で見ていたら、どうするでしょう?
もちろん、心ゆくまで来た客からブッコ抜きますよね。それはもう気持ちの良いくらいに。
でも、これじゃあなたのお店は潰れます。だってお客さん寄り付かないものね。
お客さんには、この店は出るかもしれない、当たるかもしれない、そういった意識を自分の店に向けてもらう必要があるのです。
じゃあ何をすればいいのか?これも簡単ですよね。出せばいいんです。赤字にならないくらいで。
基本的にパチンコ屋さんってのはどれくらいの釘調整をすると、またはどれくらいの設定配分をするとどれくらいお客さんに還元できるのかが把握出来るものです。
それこそ一日の終わりにはホールコンピュータというもので正確な払い出し数まで数値で見ることができます。
釘?設定?という方のためにはまた後で別の記事を用意しようかなと思ってますので、ここは割愛しますね。パチンコ屋遠隔操作説に関してもここでは触れません笑
ともかく出玉、言い換えると還元率というのはある程度ロングスパンでならコントロールすることが可能になっているのです。
故にあなたは、お客さんに出る店だという印象を与えつつ、少しずつ全体から利益を獲得していくというやり方で経営していくことになるでしょう。
では、どうすればこの店は出る!とお客さんに植え付けることが出来るのか。
あなただったら、どうしますか?
パチンコ屋は意図的に出玉の意図的に偏りを作って魅せている
あなたが店長ならどうするのか、それはあなた次第だと思います。どんな方法でも、人気店になれば勝ちです。
しかし大半の(優良な)パチンコ屋さんは、特定の日に多くの出玉を還元するという手法を用いるようになっていきました。
今の学生はあまり聞いたことがないですかね?「7のつく日はマ○ハン」的なCMがテレビでやっている時期もあったんですけどね。
あんまりこういう話すると現役の大学生じゃないのでは?と疑われそうだから辞めておこう。
そんなこんなで、お客さんとお店の間で「この日は出すよ〜」という暗黙の了解を作ったのです。
実際に出る店にはお客さんが並びますよね。
だって出るんだもの。負けたくて遊戯する人はいません。
更に言うとお店にはお店ごとの癖というのが出るものです。
例えばあなたのお店で、あなたのすごく好きなアニメの台がお客さんから大人気で毎日すごい回してくれたら、嬉しくないですか?
こういうのはやっぱり「いつも来てくれるお客さんに還元できるように」という配慮でもあるんですよね。よく来る人はだいたいその店の癖が分かるようになるものですから。
そんなこんなで、日付や台によって、パチンコ屋さんは出る出ないを調整してて、毎日全ての台で間違いなく損をする、という仕組みとはちょっと違うんだよ、というお話をしました。
パチプロ、スロプロという生き物
上述してきた話を考えた時、ひとつの仮説が浮かんでくるのではないでしょうか?
「これ、勝ち続けられるんじゃないの?」
まぁそんなことは有り得ないのですが、パチプロだのスロプロだのという、それらで生計を立てている(もしくはそれくらいの収支プラスを維持している)人は実際に存在します。
お店の癖、特定日や傾向、台の知識、あとはちょっとした技術などを使って、朝から晩まで稼働して「期待値」を稼ぐ人達です。
ここで稼ぐのが「利益」ではなく「期待値」だというのが面白い。遊戯という娯楽の妙だと僕は思ってます。
先程も言いましたが勝ち続けるのは有り得ません。ゲームは確率によって支配されてますからね。
でも逆に言えば試行を重ねることさえ出来れば確率はいずれ収束するものであり、収束点を収支プラスに出来るよう立ち回り続ければ「結果的に」利益が出るようになっているのです。
僕も大学生の頃は生活費の大半をスロットで賄っている時期もありましたし、決して不可能な所行ではありません。
これが出来るようになるまでに多くの学びがあったということです。これがブログのタイトルは「パチンコ、パチスロは教科書」という話に繋がっていきます。
繋がって…いくのですが…
少し長くなってしまったので、今回はこの辺で…続きは次回にしたいなぁ、と。
読み直してみたら、全然学びの話が出来ていない…ただのパチンコ好き大学生のごっこ遊びブログになってしまった…
ま、仕方ないよね。楽しいもん。
バババッと書き殴ったので、分かりにくいところもあると思います。シコシコと修正していきながら伝わりやすい記事にしていきたいですね。
それではまたお会いしましょう!
成長を求めない大学生活へ
恥の多い学生生活を送ってきました。
自分には、「成長」というものが、見当つかないのです。
この一文は、大学生活で僕が常に感じていたことをそのまま表しています。
ご挨拶が遅れました。
初めまして、「ヒダリウマ」です。
今回このブログのこの記事が、正真正銘僕の処女記事ということになります。優しくしてくれると嬉しいです。
今年の夏前に就職先が無事に決まり、残りの大学生活も100日を切ろうとしています。
今回は、何故この時期になって大学生活に関するブログを立ちあげようと思ったのか、どんなことをこのブログで主張していくのかについて、徒然なるままに書き殴っていきたいと思います。
大学生活4年間で常に思っていたこと
1年間の浪人期間を経て、地方から上京して大学生となった僕は、風の吹くまま気の向くままに大学生活を過ごしてきました。
そんな中で、ある時ふと、僕ら世代の大学生の間で恐ろしいほどの感染力を持った「ある言葉」が流行っていることに気付きました。
それが「圧倒的成長」という言葉でした。
圧倒的成長!!
今聞いても薄気味悪い言葉です。身の毛がよだつとはこのことでしょう。
この言葉は一度取り憑かれたが最期、学生生活が終わるその瞬間まで高い意識を持った言動を肉体に強制し、「忙しい」「時間無い」という言葉を美徳と捉えさせ、スタバでMacBookを開いていることがこの世で最大の悦びであると錯覚させてしまいます。
多くの友人達が圧倒的成長に飲み込まれていきました。残念ですが彼らはもう…
そのような中で私はその環境に対して常にアンチテーゼを示し、それのみが大学生活の価値ではないのだ、ということを叫び続けてきたのです。
もちろん、僕の生活は決して褒められたような生活ではなかったと思いますが。
ですが、常に自分を何者かへと昇華させることのみを求めて、やるべきことに追われて生きるのみが、この大学生という期間を過ごす上での最適解だとは、どうしても思えないのです。
これは決して「学生のうちに遊んでおけ、社会人はつらいぞ」と言いたい訳ではありません。
社会人には学生にはできない楽しみがあり、魅力があると思っています。僕も社会人になることが今から楽しみに思っていなくもないような気がします。多分。
ですが、やるべきことに囲まれながら成長を実感する、というのは社会人になってからでも出来る楽しみ方なのではないか。
要は学生にしか許されない「楽しみ方」があり「感じ方」があるのだ、と僕は主張したいのです。
故にこのブログは、ほんの少しでもいい。
どこかにいるかもしれない、僕と同じように
「圧倒的成長…?なんだそれは…(ドン引き)」
と思ってる人をターゲットに書きました。
あ、もちろん読んでくださるのであればそれ以外の方々でも大歓迎ではあります。
いえむしろ読んでくださいお願いします
何でもしまs(ry
改めて…
必ずしも圧倒的成長に蝕まれる必要は無い。どんな環境だって人は成長するし、何をしてても学ぶことが出来るし、何にだってなれるんだよ、ということを伝えたいです。
この世界にある何だって、知らないよりは知ってる方がいいに決まってる。
間違えたらやり直せばいい。
やりたいことに正直に、心ゆくまで全身全霊で楽しむこと。
これを大切にしていれば、きっと他の圧倒的な人達に負けないくらい、魅力的な貴方が大学生活で醸成されていると思いますよ。
私が大学生活でやったこと
さて、綺麗事の時間はここまでです。
いかがでしたか?
少しでも僕が真面目な人間に見えたのならこれ以上の悦びはありません。
先にも述べた通り、私は褒められたような生活はしてきませんでした。
知らないよりは何だって、知ってる方がいいに決まっている。
その主張を盾に、競馬などのレースゲームからパチンコ、スロットといった遊戯、はたまた麻雀などのボードゲームなどといった、それはもう慎ましやかな遊びに勤しみました。
かと思えば何日も家に引き篭ってアニメや読書に明け暮れてみたり、手巻きでタバコを作って延々とテイスティングをしながら珈琲豆のブレンドを試作し続けたりなど、それはもう興味のままに、本能のままに、獣のように生きてきました。
全ての経験から学びがありました。
何もかもが私の糧となり、人生に深みを与えてくれています。
大学生が持つ最大の資産は「時間」です。
この資産を今後この健康体のままで行使できる人は、決して多くはありません。
なぜなら時間の価値は相対的で、残りが少なくなればなるほどその価値は急激に高まっていくからです。
だからこそ大学生は、持てる時間の全てを使い、自分の興味を限界まで刺激しなくてはならないのです。
何よりも貴重な時間という資源、せっかくのその資産を社会人ごっこで消化するなんて勿体ない。
嫌でも卒業すればそのごっこ遊びには興じることが出来るのだもの、今は死ぬほどくだらないことに死ぬ気になったって誰も咎めはしないでしょう。
これが僕がこのブログで主張したいこと、興味があるなら何だってやれということです。
僕はこのブログがその背中を押すためのツール、もしくは少しでもその教科書となればと思っています。
お察しの方もいるとは思いますが、
えぇ、そうです。
沼へと引きずり込もうとしてるだけなんですけど。
近いうちに更新します。
良かったらまた読んでくださると嬉しいです。